加藤諦三著「非社会性の心理学」角川oneテーマ21、09年9月。
反社会性とは別の問題として、非社会性を著者は取上げる。
反社会性は違法性。
非社会性は法に反せず、人道に反することで、
反社会性よりもたちが悪いと著者は述べる。
著者は知の合理性に反するのが反社会性で、
感情合理性や経験上の合理性に反するのが非社会性だとする。
そして社会性は、communicationで生れる共通感覚を
当り前のこととする。
しかし著者が社会性と自然性とを同一視するのは疑問。
現在では通り魔殺人や振込め詐欺等、不特定の人を対象にした
攻撃性の発動が横行する。
近代法の思想では、詐欺よりも殺人の方が重大な悪にされたけれど、
著者は、非社会性の点で、殺人犯よりも詐欺師の方が悪質だとする。
詐欺師は多くの場合、物証を残さず、
法律のよる刑罰をすり抜ける。そこが悪質。
▼著者は、振込め詐欺犯の心性(無差別の攻撃心)は
復讐心(特定の対象への攻撃心)よりもひどいとする。
現在の日本は世界で最も非社会性の蔓延した国だとする。
Hitler支配下のGermanyよりもひどい、と。
現在の日本は世界最悪の独裁国家、お金による独裁国家
だと、著者は見る。
精神分析や近代心理学の祖たるFreudは
父への攻撃性やOedipus complexを問題にした。
著者は、現在の無差別殺人犯の本心の重要な部分を占めるのは、
親への殺意だとする。日本では主に母への殺意の様である。
▼1960年代後半の大学紛争や反体制運動が非社会性の走りだと、
著者は認定。
そしてその後に日本社会にどんどん非社会性が蔓延したとする。
さらに著者は、近代合理主義を倒錯だと批判する。
生きることを最初に学習させるべきなのに、近代合理主義は
生きることよりも先に理窟を学習させる。それは誤りだ、と。
著者は近代合理主義を批判する。
そして物事を学ぶべき順序を提示する。
最初に生きることを学び、次に思考を学び、
そして世俗界での生活技術を学ぶべきだ、と。
▼著者は、USAの銃乱射犯には反社会性があるにしても、
日本の詐欺犯や通り魔の様な非社会性は無いと述べる。
USAの乱射犯は犯行後に自殺してそれなりに責任をとるけれど、
日本の通り魔にはその様なところは無い。
(管見ではこれは武器の相違、日本では銃使用率低いことの反映)
日本の通り魔には、秋葉原事件の加藤被告の様に、
言動に甘えが見られると著者は指摘する。
甘えの問題は家庭の教育や育児の問題である。
甘えた逸脱行為は幼児期には大きな害にはならぬけれど、
成人の場合には重大な問題になる。
幼児期に十分に甘えさせて、甘えを卒業させるべきである。
著者は、土居健郎流の、比較文化の観点からの甘え論とは
別の立場の様だけど、USAや西洋の殺人犯、乱射犯に
甘えや非社会性が無いのは何故なのか、西洋人が幼児期に
甘えを満足させたからか、そんなことはあるまい。
▼子育てに失敗して子が問題行動や事件を起しても、
近代の刑法思想は個人主義を原則にするので、
親の責任が問題になることは殆ど無い。
問題行動の子を育てた親には反社会性は無いけれど、非社会性がある。
著者は、戦後民主主義が上下の思想を否定して親子関係を壊したことや、
女権主義が母親に誤れる自由や自己実現の思想を吹き込み、
子育てを軽視させたことを批判する。
著者は戦後日本での友だち主義を批判し、
友だち主義は平等への誤解が原因とする。
▼著者は平等と上下とは矛盾せず、などとしつつ、
上下関係の必然性を説く。それは自分には詭弁と感ぜられる。
愚考するに、友だち主義とも上下関係とも別の対人関係として、
恋愛関係や取引(等価交換)の関係がある。
著者は近代合理主義(とり分け金儲け主義)を批判し、
近代合理主義を脱するために原点に戻れと、と提言する。
日本の場合は祖先崇拝が原点なので、そこに戻れ、とする。
しかし単純に過去に戻るのは疑問。
日本の、農村型共同体と一体化した家の思想、祖先崇拝は衰退した。
過去の人の中で誰を祖先や師匠にするかは、
実際の血統に固執すること無く、各人の職業意識に合せて、
各人が自己裁量で決めれば良いのではあるまいか。