ひろさちや著「お葬式をどうするか」PHP新書。
本来の仏教から逸脱した日本の葬式仏教を批判。
基督教排除の所謂鎖国政策を導入した近世徳川政権は、
基督教独特の、死者に対する儀礼を封じ込めるために、
国内仏教寺院に葬式を担当させた。
神道の葬式も禁止された。葬式独占を認められた日本
仏教界、寺院はそれに悪乗りして、儒教や神道を援用
して年期法要を制度化し、儲けの道具にした。
先祖供養を怠れば先祖が祟ると脅す堕落宗教と化した。
古代神道では、権力闘争に敗れて暗殺されるなど非業
の死を遂げた人の例が怨霊化し祟るとされたけど、
普通の庶民の霊が祟るとは、恐らくいんちき。
著者は祟りなどMatch-pumpだとし、世間の物差しに
固執し、病気は悪、健康が善、の思想に乗りつつ、
当宗教を信仰すれば病気が治癒するなどと説くのは
いんちき宗教だと斬る。
本物宗教は、世間の物差しを否定し、健康の価値を
否定することは無いにしても、病気になれば、それ
もまた良い、とする。
在家に対して死亡時に無理やり形式上の仏弟子名、
戒名を押売りして儲けるやり方は廃止されるべきだ
とする。
著者は、墓は本来死体処理場で、霊魂とは無関係だ
とする。
日本の火葬は、骨を残すために火力を調節、遺骨
崇拝を折衷させた中途半端なもの、と著者は批判。
仏陀や阿羅漢は遺骨崇拝の対象にされたけど、一般
人がそれを真似してどうする、と。散骨が仏教本来
のあり方。
墓石は、死者が化けて出るのを防ぐための重し。
土葬時代に、死体を縄で縛るとか、手足の骨を折る
とかしたのも同様の思想。
西日本の両墓制では、埋め墓を参り墓と分けた
けど、火葬が普及した現代では混同が生じ、墓参り
の勧めが横行。
輪廻思想からすれば、墓が必要なのは完全解脱した
仏陀のみ、一般衆生は別の形、別の肉体でひたすら
生き続けるから墓不要。
父母は2人、祖父母は4人、その前の代は8人、、、
先祖の数は無限大、などと説くのはいんちき遺伝学、
いんちき宗教。
戦後改革での農地解放、小作人解放は、日本の葬式
仏教を悪化させた面もある。
戦前大地主としても機能した寺院が、戦後改革で
地主収入を断たれ、葬式での収入を頼りにした。
戦後宗教法人は、代りに無税特権を得たけど、それ
で得をしたのは新興宗教やいんちき宗教。
著者は、夫と同じ墓に入るのは嫌だ、死後離婚だ、
とか、夫婦別姓とかの矛盾した女権主義の主張を批判。
それは儒教思想で、日本思想にあらず。
葬式は、遺族がやることで、葬式に関して遺言して
あれこれ指図するのは誤れる執着。
死者を忘れるのが仏教。葬式と告別式とを分け、
両者の混同を避ける。