Percival Lowell著「極東の魂」
(著者は、1855年生、1913年死去、天文学者として、火星に運河や生命が存在したかも、などと論じた。日本のOccultも論じた)
日本家屋に入る際、帽子を取る代りに靴を脱ぐ。日本はAmericaと逆さまだ。
日本人もKoreanもChineseも同じ。Chinaは印度から文明を取り、KoreaはChinaを真似し、日本はKoreaを真似した。
極東文明は他からの借り物で、原理が無い。(西洋流の傲慢と悪意を感じさせる誤解)
極東文明は没人格性だ。家族が社会と政治の単位だとするChina思想は、多少変化して、Koreaと日本にも定着した。
帝国は大家族だ。一般の家族は小さな帝国だ。父権主義は最古の社会制度。
黄色人種Asia人は、それを維持する。(人種差別だ)愛とは、極東では知られざるものだ。
日本語は、通常sex雌雄男女の区別をせず。人でも牛や鶏等の動物でも。日本語の特徴は没人格性。
東Asiaの言語には複数形が無い。極東には科学の物の見方が無い。
物どもの原因を探究する心はChina人やTartar人には無い。
日本の食事は、見た目を重視する。日本は、科学よりも美術を重視する。
科学は感情を動かさず。美術は万人の感情を動かす。感情は自我の大部分を占める。
日本人の木の花(桜等)への配慮はcultの域だ。自然に自然物を崇拝する。
自然を、Greece人は人格化したけど、日本人はそれをせず、自然をそのまま尊敬する。
日本の絵画は実質は詩だ。光景よりも感情を描く。無関係な要素は描かれず。
自然の魂を、人の魂が把握した様を表現する。極東は、単純化の力を十分に実現する。
道教は迷信の体系、哲学にあらず。(管見では、道教は非哲学であるにしても有用)
宗教心と道徳心は一致せず。基督教は人格教、仏教は非人格教。
二つの宗教は表面上は似るけど、根本のところでことなる。仏教は自然を悪とする。(管見では誤解)
基督教は、人の悪は人の責任にあらず、とする。(責任転嫁の思想)
基督教は楽観主義。仏教は悲観主義。仏教は、人生は悲しみの連鎖だとする。
東洋思想は、個人の精神の滅却を肯定する。仏教は、人生の悲惨の原因は自身にあり、とする。
日本人は、近代西洋物質文明を導入したけど、西洋信教を拒否した。