ひろさちや著「空海入門」
空海の年譜の空白部分を創造、大胆な解釈で埋め、
仏教学者流の難解な教説と一線を画す叙述。
この本で示された密教解釈は、現在の成功法と通ずる
面がある。密教以外の仏教、顕教では、仏になるため
に修行する。
著者は、修行者の自己満足に堕した、として「小乗仏教」
を批判するけど、空海は中産者(地方豪族)出身で貴族
を嫌悪し、民衆のための仏教として密教を建てた、とする。
密教は一種逆転の発想、自分が仏陀の段階に到達した
ものとして行動する。目標を真似する。
Role-playing法か。
「仏陀」のところに自分の目標に応じていろいろな
ものをあてはめればよろしい。
密教は運命に流される生き方。不思議研究家森田健
さんの説と合致?
密教者は自分が何をやりたいかを問題にせず。小林
正観流、頼まれ仕事をひたすらこなす生き方。
脳機能学者苫米地英人博士は、密教流に、煩悩、慾望
極大化を説く。
中途半端な煩悩は害をなすけれど、慾望を極大化し、
人類規模、宇宙規模にすれば、社会進化に貢献する
ことができる、それが密教思想の一面らしい。
▼ひろさちや著「「般若心経」生き方のヒント」
日本経済新聞社、96年8月。
般若心経は大乗仏教の思想を表現したものである。
著者は大乗仏教を肯定して「小乗仏教」を批判する立場。
著者は「小乗仏教」流の出家生活を「ホームレス」で
あり安易なことだとして批判する。生産活動と仏道修行
とを両立させるべきだけど、日本の過去の大乗仏教が
それをよく実現したかは疑問。
日本ではご利益(現世利益)思想が古くからある。
現在ではUSA流の成功論の意匠とともに、ご利益思想
が流行する。しかし著者はご利益思想を批判。
どんな結果が出ても、それをほとけのこころであり
配慮だとして受止めよ、と。
著者はこの本で布施に関して何度も論ずる。布施
の話は般若心経と直接の関係は無い。自分は布施の
思想はいんちき臭いと感ずる。
著者は、布施と「お恵み」とを対比させて、お恵みでは
受け手が礼を述べるのに対して布施では差出した側
が礼を述べると指摘する。管見では、どちらにも問題がある。
等価交換が最上と見るべき。