猪瀬、田原著「戦争、天皇、国家」続き。
猪瀬氏、東條英機は神経質な官僚typeでleadershipが不足し、
昭和帝の期待(戦争回避)を実現出来ず。
戦後吉田茂は、自衛隊30万人化のUSA側要求を拒否した。
戦後日本は仮想現実に近いfantasy幻想の世界、Disney landだ。
戦争(の現実)を想定せず。
国家visionも国民prideも雲散霧消した。一国平和主義。
三島由紀夫は、戦後民主主義を唾棄し、無機質で空虚な経済大国
に日本がなるとした。(けど、それは冷戦終了まで。その先の没落
を見通さず)
第二次以降安倍政権は官僚優位で、政党、与党の議論は不振。日本
は意思決定力の不足の故に太平洋戦争に突入した。
田原氏、明治日本は条約改定のために清と戦争した。一種の独立戦争。
猪瀬氏、1886年、清艦隊が長崎に入港、船員、水兵が市街で暴れて
約80人が死傷。日清日露は日本の独立戦争。
田原氏、欧州(第一次)大戦で貴族の時代が終了。
猪瀬氏、日本海軍、山本五十六らは総力戦を認識したけど、陸軍は分らず。
大正年間に日給制から月給制に移行。好景気を享受。
田原氏、原敬元総理は、初の政党内閣を組織し、明治体制、官僚支配を
破壊することを試みた。
猪瀬氏、原敬は藩閥官僚の情実人事を止めさせ、普通の権力にすること
を目指した。Baden -Badenの密約に参加した永田鉄山は、総力戦の必要
を認めたけど、暗殺された。
田原氏、石原莞爾は、対Soviet戦に勝ち、USAとの世界最終決戦に進出
するためには満州支配が必要だとして、満州事変を首謀した。
猪瀬氏、HitlerのSoviet攻撃は不可解。
田原氏、1941年、近衛政権が倒れた後、東久邇宮皇族政権が提案された
けど、昭和帝は拒否。責任回避。
猪瀬氏、東京五輪招致に皇族の参加を求めた時の宮内庁の態度はそれと
共通性がある。(管見では、五輪の如き、腐敗した事業に皇族を巻き込む
政治屋の方が問題)
岸信介は、革新官僚として、終身雇用、年功序列の体系を作り、
源泉徴収制度を導入し、日本銀行法を制定。
戦後岸政権は、生産力増強十か年計画を決めた。
田原氏、それを池田政権が継承した。
猪瀬氏、岸信介は国家社会主義、池田勇人の所得倍増は資本主義。
田原氏、池田勇人は総理時代、料亭宴会、golf、憲法改定を封印。
日韓基本条約当事者の、南Korea、Park父元大統領は、岸信介に、
退陣後に国外亡命するための資金を預けるところ、Switzerlandの
銀行を紹介してくれ、また日本から大臣を4、5人貸してくれ、と依頼。
佐藤栄作元総理は強行採決を好み、新聞記者を嫌悪した。甥の安倍晋三君
は、改憲に不熱心な佐藤栄作を尊敬せず。
沖縄返還交渉で、日本側密使に立てられた若泉敬元京産大教授は、USA
が返還を拒否すれば、国内反米運動激化、沖縄の反米感情爆発、日米
関係悪化、安保条約継続困難になる、と弱者の恫喝をかました。
高野孟さんは、沖縄返還で本土が沖縄化(対米従属強化)するとして反対。
猪瀬氏、核兵器持ち込み密約による沖縄返還。
田原氏、田中角栄は吃音を直すために、毎朝畑仕事をしながら六法全書
を音読した。角栄は初当選の翌年、収賄容疑で逮捕。角栄は33本の議員
立法を通した。
猪瀬氏、角栄は戦後民主主義の申し子だ。
田原氏、中曽根元総理の不沈空母発言、日本が有事の際に敵機侵入を防ぐ、
としたのを誤訳された。
猪瀬氏、黒船来航以来、日本はUSAに生存権を握られた。
田原氏、1995年頃から北Koreaの核開発問題等があり、日本が右傾化した。
猪瀬氏、その様には感ぜず。
田原氏、中西輝政教授は、湾岸戦争に参加拒否、この時は左翼、その後同氏
は右翼に転向自身で95年に転向したと認めた。
(95年は阪神大震災や「オウム」事件等で日本が大きく壊れたけど、それを
自分は右傾化とは感ぜず。
小林よしのりさんは、15年3月1日blog記事で、中西教授を変節漢と批判。
同教授は、Iraq戦争で恐米保守に転向、小林氏と入れ替りで教科書運動に参加した)