近代以降日本は、官僚流無責任思想に毒され、敗戦でも弊害が出た。戦後は軍官僚は責任を取らされ排除されたものの、文官が無責任体質を継承。
河原崎弘弁護士、97年9月27日付け記事。官僚は単なる教科書知識の記憶競争の成功者。安住できる天下り先と有利な年金制度のぬるま湯で頭が鈍り、良い仕事ができず。
時代感覚が無い。官僚と同程度の能力の人は日本に大勢居る。有権者は官僚出身候補者に投票するな。
官僚は、国民の利益よりも自己の利益を追求する体質が染み付く。これは封建時代である江戸時代の役人の役得を求める習性に由来、とのこと。
日本の無責任体質に関して多くの論者に参照され引用されるのが丸山真男政治学。しかそ管見では丸山政治学は、偏見にまみれ、誤謬が多く、無視されるべきもの。
河合薫さんは、日経business17年6月27日記事で、海外でも日本でも、大企業では責任感は昇進に不利に作用するとの調査研究がある、とする。
権力と嘘が、支配や信頼性や意思決定の影響を及ぼすとの学者論文がある。
官僚は縦割り分業を悪用、また情報隠しで責任逃れをする。日本庶民は、自らを無能とみなし、水に流す思想。
日本人の多くが官僚制を容認するのは、人物評価の基準として、官僚制の基盤をなす筆記試験を公平で優れたものとするからと見られる。
日本の近代思想で問題なのは、努力偏重、効率軽視のところ。努力すれば必ず結果が出る、睡眠時間を減らしてでも、恋愛を後回し、棚上げにしても、努力し勉強せよ、の思想。
それは過労死や少子化助長の一因。対策は、官僚制筆記試験過大評価を脱却すること。
各人の能力の多様性を認め、筆記試験で測定されるのは能力のごく一部と知り、試験秀才万能幻想を脱し、個性化、効率化を進める。
試験秀才や官僚厄人を相対化、脱特権化、公僕化し、各人が自身の得意なことを効率よくやる世の中に移行する。日本人が官僚依存を脱脚するには、仏教流個人主義が良い?