田原総一朗著「なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか」
公式の歴史では無視されがちな、頭山満、大川周明、北一輝らに注目。
中江兆民は対露戦争賛成、もし負けても国内政治革新に
つながるとした。
小村寿太郎元外相は、Russiaに、満州を譲るから、日本
のKorea半島支配を認めよ、と提案して拒否された。
頭山満は、渋る伊藤博文に対露開戦を呑ませた。
帝政Russiaは1905年第一次革命対策のために対日戦争を手打
ちしたので、敗北意識を持たず。
頭山は、China(孫文ら)や印度やPhilippines等、多くの
外国から民族主義者たちを、政府の意向を無視して亡命
受け入れ、世話をした。
孫文は、革命前は、満州は異民族の地だから日本に任せて良い、
としたけど、満州開発が進み、満州へのChina移民が増えると、
満州China化肯定に転じた。
孫文は頭山、宮崎滔天らの日本人に感謝したけど、内田
良平には敵意。
田中義一元総理の構想は、満州を張作霖に、Chinaを蒋介
石に委ねること。でも張作霖爆殺で雲散霧消。
右翼思想家で戦犯容疑者とされた大川周明は、学生時代に
基督教を学び、社会主義Marx思想に傾斜した。
大学では印度哲学専攻。卒業後、日本回帰。東西文明を
融和させることが日本の使命とは空事。日本文明の完成
を念ずるのみ、とした。
基督教とMarx主義を大和魂で包み込む。天皇制国家社会主義へ。
議会が初めて招集される一か月前に、教育勅語が天皇教
教典として発布された。
続き。
大川周明や北一輝は、日本軍にはお金儲けを嫌悪する武士道
があるとして、軍による革命、社会改造、資本主義打倒に期待した。
(近代軍への幻想が、彼らの理論の最大矛盾。
武士階級と無縁な近代徴兵軍に武士道など無い)
1931年の反乱Coup detatで、橋本欣五郎元中佐は
徳川家から資金提供を受けた。徳川は大川周明にも資金提供。
首班に担ぐ予定の宇垣一成の腰が引けて挫折。
十月に再び試みたものの、やはり挫折。
1932年⒌15事件首謀者は細かな計画を持たず、革命家
になりたい一心で行動した。
大川周明は、5.15事件で禁固刑、務所生活。著者が信頼
する坂野潤治名誉教授は、国際連盟脱退は小さなこと、
それよりも英国に裏切られたのが大きいとする。
1935年、日英でChina貨幣制度改革、の提案を拒否したのが愚。
1931年満州事変後のChina反日運動への対応で、
日本は製品輸出先を印度に変更。
しかし印度を植民地支配する英国は、1933年、日印通商
条約を廃止させ、日本で反英感情が生じた。
日中戦争の実態は日英戦争だとする説も出た。大川周明は、
南京を攻略すれば、戦争がむしろ長引くとして軍部に反対した。
日米が手を組み、英国と敵対することを構想した。
実際に実業家を通じて対米工作を試みたけど、詐欺師に
だまされるなどして失敗。
大川は、対米戦争に見込み無しとしながら、開戦直後に
NHK radioで、本心とは全く別の内容の煽り演説をした。
北一輝は天皇の万世一系性や真正性を否定しつつ、
天皇制社会主義、国家社会主義を構想。対露戦争肯定。
他の無政府主義系社会主義者は非戦論。