ひろさちや著「無責任のすすめ」Softbank新書、08年2月。
小泉政権の自己責任論に著者は怒る。
責任を取るべき政府の人びとが一般国民に責任転嫁をすることだ、と。
与党政治家あるいは軍人が責任者である。国家に対して責任をとる
べきだ。あとの国民は無責任だ、と。
著者からすれば、野党も官僚も無責任。
古代Egyptを参照すれば、官僚はもともと奴隷だ、とする。
▼著者は戦後日本の無責任体質を批判する。昭和天皇は
退位して戦争責任をとるべきなのに、それを封じられた。
そして政治家の奴隷であるべき官僚が政治家を奴隷化して、
相互奴隷の奇妙な状況を作り出した。
戦後日本は責任者不在の、一億総奴隷の状況に置かれた。
これでは独立国とは呼び難い。
また著者は、A級戦犯ら、連合国に対する責任を
取らされた者は居たにしても、
日本国民に対しての責任は不問にされたことを批判する。
著者はUSAに反感を持つ。原爆投下は戦争犯罪であり、
USAはTerrorist国家だ、と。
著者はMyanmarの軍事政権にUSAが圧力をかけ、
日本がUSAに同調することに異論を述べる。
多民族国家のMyanmarに近代民族主義を単純に適用しては
大混乱、大騒乱になる、と。
著者は、日本に関しては、二大政党制よりも多党制を推奨する。
「無責任のすすめ」続き。
著者は、国家を必要悪と見る、西洋流の思想に賛成。
西洋思想では、全ては悪であり毒である、ただし
処方をうまくやれば、薄めて使用すれば、薬になる。
また英語ではWeatherの基本の意味は嵐であり、悪天候、
荒天である。
著者は、これと、日本流の国家性善説や、天気の基本は
好天だとする思想や、全ては薬だけど、過度に使用
すると副作用の害が出るとする思想とを対比させる。
西洋流の国家性悪思想は、神の国(天国)
の絶対善の思想、宗教思想と一体のものである。
大陸の道教は、来世の救済を説くことが無い代りに、
国家を不自然な悪と位置づけて「小国寡民」を説く。
自分は、西洋流の国家性悪思想よりも、
道教流の国家不自然説の方が良いと感ずる。
あるいは島国地政学、生活環境が限定された状況への
対応として、権力者が自己抑制する日本のあり方を
再評価するのも望ましい。
▼日本には必要悪の思想が無い、必要なものは全て
善だと短絡すると著者は批判。
日本では義務教育と高等教育の境界が曖昧だけど、
著者は義務教育から競争原理を排除せよと主張する。
その一方で、高等教育ではどんどん競争原理を
働かせれば良い、とする。
現代の日本では、義務教育の段階から競争原理が横行
する一方で、大学には入試以降には競争が無く、
ほぼ全員が卒業することが出来る、その状況を著者は批判。
著者は通学の義務を否定して、義務教育修了試験
のみにせよ、と提案する。
医者等の専門家もやはり無責任だ、
専門家に下駄を預けるのは愚の骨頂だと著者は述べる。
著者は、国民としての無責任を説くけれど、
生活者としては自己責任が原則になるとする。
ただし、自分には分らぬこと、決断不能のこともある、
その様なことは佛様に下駄を預けよと述べる。
身体の病気に関しては、医者の処置を受けずに放置すれば良い、
就職に関しては賽を振れば良い、とのことである。
責任、responsibilityは反応、対応能力のこと。
無責任は無能力。