田原総一朗著「なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか」PHP。
著者は1965年、Soviet首都を訪問して会議に参加、社会主義
幻想を脱した。Sovietには言論の自由が無い。客への配慮も無い。
著者はIraq戦争に反対したけど、USAが占領統治に失敗
したのは想定外。Lehman金融危機の世界化も想定外。
Asia共同体構想を再評価するべき段階だ?
東京裁判当時、著者はA級戦犯は当然と感じたけど、
後に田中正明著「日本無罪論」で目から鱗。
蒋介石は本来反日よりも反共優先。毛沢東共産軍打倒のためには、
日本軍と一旦手を組むこともあり得るとした。
それは松井石根元大将の構想とも一致。
1936年、反日反蒋介石の張学良が西安事件を起こした。
蒋介石が監禁恫喝され、反日を呑まされた。
Stalin戦略の、反日、国共合作が実現。
1937年、盧溝橋事件直後、日本軍強硬派(不拡大派は石原
莞爾ら少数派)は、大規模攻撃をすれば、相手方はすぐに
戦意喪失すると勝手読みをした。
松井石根は、南京が陥落すれば、蒋介石は下野すると勝手読み。
著者は、日本側が、China支援諸国に関して情報収集力が甘いと指摘。
日本軍は、蒋介石が攻撃を受ける直前に南京から脱走した
ことを知らず。松井はTrautmannの和平工作を見守る積り
で居たけど、一部部隊が暴走して南京入り。
(Germanyは、自国のChina利権を守り、日本にSoviet
牽制封じ込めをやらせるために、Trautmannに停戦仲介
をさせたけど挫折)
続き。
大川周明や北一輝は、日本軍にはお金儲けを嫌悪する武士道
があるとして、軍による革命、社会改造、資本主義打倒に期待した。
(近代軍への幻想が、彼らの理論の最大矛盾)
1931年の反乱「クーデタ」で、橋本欣五郎元中佐は徳川家から
資金提供を受けた。徳川は大川周明にも資金提供。
首班に担ぐ予定の宇垣一成の腰が引けて挫折。十月に
再び試みたものの、やはり挫折。
1932年⒌15事件首謀者は細かな計画を持たず、革命家
になりたい一心で行動した。
大川周明は、5.15事件で禁固刑、務所生活。著者が信頼する
坂野潤治名誉教授は、国際連盟脱退は小さなこと、
それよりも英国に裏切られたのが大きいとする。
1935年、日英でChina貨幣制度改革、の提案を拒否したのが愚。
1931年満州事変後のChina反日運動への対応で、
日本は製品輸出先を印度に変更。
しかし印度を植民地支配する英国は、1933年、日印通商
条約を廃止させ、日本で反英感情が生じた。
日中戦争の実態は日英戦争だとする説も出た。大川周明は、
南京を攻略すれば、戦争がむしろ長引くとして軍部に反対した。
日米が手を組み、英国と敵対することを構想した。
実際に実業家を通じて対米工作を試みたけど、詐欺師に
だまされるなどして失敗。
大川は、対米戦争に見込み無しとしながら、開戦直後に
NHK radioで、本心とは全く別の内容の煽り演説をした。
北一輝は天皇の万世一系性や真正性を否定しつつ、天皇
制社会主義、国家社会主義を構想。対露戦争肯定。
他の無政府主義系社会主義者は非戦論。
北一輝は国家主権論。天皇主権を否定。天皇は国家の
一部だとした。
(北は天皇主義者とされるけど、国粋派とは見解がことなる)
日本は古代君主国、中世近世貴族国の時代を経て、明治
維新で民主主義化した。
(民主主義のために天皇を利用せよ、それは可能だ、とする)
北著「國體論及び純正社会主義」を経済学者福田徳三が絶賛。
Marx主義者河上肇が感動。
でも東京日日新聞に批判されて発禁処分。北はひどく落胆、
China革命に参加するために実質亡命。でも孫文を怒らせた。
北は1915年の日本政府による対China二十一か条要求を批判。
日本はChina革命勢力と手を結ぶべきで、日本とChinaが
戦争で共倒れになれば、日本が英露により分割されると危惧。
北一輝流国民の天皇、は危険思想。過去に武家権力者に都合
良く利用された天皇を国民が利用するものに改める。
軍を介して既得権益者を排除して、国民と天皇を直結させ
る構想。(徴兵制による近代軍の無私性を幻想錯覚)
軍の中でも中下級に期待した。民主主義は数を絶対化し、
質を無視したものだとした。
(だから民主主義も厳密には駄目、社会主義化せよ、とした)
北は法華経にも関心。北は三井財閥から生活費をゆすり、
贅沢な生活をした。書生、下男、女中らとともに。
著者は松本清張の北批判に不同意。北一輝は、対米戦は、
USAのみならず、英国、Russia、Chinaを敵に回すから
愚の愚だと正しく予見した。
2.26事件は北の革命思想から見れば全く中途半端で
失敗するのが当然。北流の、天皇を玉として利用せよ、
の思想を青年将校らは持つことが出来ず。
(北を2.26首謀者として処刑した日本政府は対米戦を引き寄せた)
坂野名誉教授説によれば、日本軍は、満州事変を英国が
支持することを期待して行動したけど、あてが外れた。