司馬遼太郎著「ロシアについて」文春文庫、89年6月。
日露関係を考察するのに有益、参考になる歴史論。
十三世紀から十六世紀にかけてMongolに支配
されたことが、Russiaの性格に大きく影響した。
兵器進化で、銃や大砲を取入れたRussiaは、
騎馬戦術に固執したMongol勢を打倒することに
成功したけれど、Mongol流統治方法を継承、
生産者らを厳しく抑圧、農奴化した。
帝政Russiaは、Mongol支配時代と同様、
毛皮を主要産品とし、毛皮獲得のためにSiberia方面、
東方へと勢力、領土を拡大させた。
日本を発見したRussiaは、日本に毛皮を売り、
日本から食糧を購入してSiberia開発を安定させること
を目指したけれど、日本は鎖国に固執。
▲徳川期日本では、鎖国政策の故に、船舶規格が制限され
、難破し易い船が運航された。
北方領域内に漂着した難破船乗員を、露国は日本研究の
ために利用した。
日本のShamanismや醗酵食品はSiberia起源
とのこと。
近世清国のMongol人に対する処遇は過酷なもの。
Mongol人活動地域の草原を無理に農地化して
遊牧不能にし、多くのMongol人たちを困窮させた。
その様な清朝支配よりは、帝政Russiaの方がまし
に、Mongol人に見えた。
著者は、第二次大戦終盤のYalta協定に関して、千島列島
をSoviet領とすること以上に、Mongol人民共和国を
Soviet属国たる現状を維持する、との第一項に注目。
もし千島を日本に返還して協定を反故にするなら、
ChinaはMongol返還(清時代に戻せ)を要求し得る、と解説。
(だから北方領土返還は無い?)
著者は、大正年間日本に関して、対中二十一か条要求
とSiberia出兵の愚行を批判。
司馬遼太郎著「草原の記」新潮文庫、95年10月。
大阪外大蒙古語学科卒の著者が、蒙古Mongolへの憧れを随想化。
Mongolは気体の様なもので、固体化して、確実な認識を得る
のは困難、とする。
Mongol人、遊牧民は、本来都市を必要とせざる人である。
Mongol帝国二代皇帝「オゴタイ」を、著者はMongol人
の性格を良く示すものとして評価。
城郭都市や財宝には価値が無い、記憶に永遠に残ることの方が
遥かに重要だ、として、物財に執着せず、どんどん分配した。
清朝後半、Mongolに茶が導入され、Mongol遊牧民の自給自足が
破壊された。多くのMongol人が借金生活に追込まれ、困窮化した。
Mongolでは反清国感情が高まり、Sovietに追随して、1924年に
社会主義化した。
司馬遼太郎著「歴史のさまざま」中公文庫。
中央Asia旅行記、その他雑文。
著者の友人が、中共政府から招待されたのに動向。
1977年、と80年のこと。
当時の中国共産党による支配は、まだ穏やかなもの
に見えた様子。著者の友人とArab人との話が面白い。
友人甲は、列車で、Turkey(トルコ)旅行中、
車内で三人のArab人に絡まれ、論争を挑まれた。
甲氏は、自分が所有するLighter(煙草火着け器)を
ふんだくる作戦と察知し、英語で論戦。
三人の内の血気溢れる一人とは柔道になり、
刈り倒したけれど、後味悪く、火つけ機を放棄。
友人乙は、Bedouin族の居住地を旅し、
現地人の天幕の中に入り込み、喫茶。乙氏は只で帰る積りが、
茶代として写真機Cameraを強奪された。