小路田泰直著「「邪馬台国」と日本人」平凡社新書、01年1月。
著者の専門は日本近代史。「邪馬台国」論争の中で、近代史と
関連する部分、戦前東洋史学者、白鳥庫吉の説を主軸にして、
論を組み立て。
Soviet社会主義崩壊、社会主義唯物史観破綻を受けて、
右翼論客が、科学としての歴史、の近代思想から、物語として
の歴史、の思想に復帰することを画策。
その一例が、産経新聞社刊、西尾幹二著「国民の歴史」
現在は、歴史観、古代観が激変。でも歴史学会は、そのことへ
の反応が鈍い。
著者は、戦前日本でも、歴史観の変化が起きたとする。
明治政府は、正史として「大日本編年史」編纂を試みた。
漢文で、日本史の中の、人類普遍性を追求することを目指した。
国民に対しては、歴史の骨組み、原資料を提示し、その先の
肉付け作業を、各国民に任せる方針。
しかしそれが挫折、普遍性よりも、神話による日本独自性強調、
国民洗脳の道具としての、物語歴史に転換。
明治政府は、議会制度導入で、近代国家の体裁を整備した。
でも実質が乏しく、形骸たるのみ。
形式主義の裏で、普遍の歴史、客観主義放棄、日本独自性強調
の物語化を進めた。
歴史(東洋史)学者の白鳥庫吉は、政府のそのやり口と一線を劃し、
近代学問の客観主義の立場を守り、その中で、日本文化の独自性
を明かにすることを試みた。
白鳥の見解では、日本文化は、大陸東Asiaのものとは全く別物。
儒教、道教等、東Asia大陸思想は、西洋流宗教段階説を援用し
て見れば、Fetishismで、日本にすら劣る。
日本が大陸(満州)に進出し、勢力拡大させるのは、大陸劣悪思想
に汚染されることになるので、止めるべきだ、と。
続き。
戦前日本の東洋史学者、白鳥庫吉は、大陸東Asia漢民族
の思想、儒教や道教は、低度な発達段階のものとした。
漢民族は、北方遊牧民侵入対策として、見かけだけ荘厳で、
内容が単純で低度な思想を用意、侵入された際に、侵入者を
同化させた。
儒教には、域外への不況を可能にするほどの高度さが無い。
白鳥は、日本の古伝説、記紀等の思想は、大陸思想に毒された
部分が多いにしても、独自の要素、太陽信仰が残された、とした。
その観点から、邪馬台国は九州だ、とした。機内の邪馬台国が
大和朝廷に発展したと見るよりも、九州邪馬台国が、畿内勢力
と別個に存在したと見る方が良い、と。
邪馬台国は大陸思想に毒されたけれど、畿内勢力は、日本独自
思想を保持した、と。
邪馬台国は、南方狗奴国との戦闘で疲弊し、また、大陸勢力が、
北方遊牧民からの攻撃で混乱したので対外援助を受けることが
不可能になり、衰弱した。
それを受けて畿内勢力が西方に拡大、九州を併呑した、が白鳥
古代日本史。
続き。
白鳥庫吉の弟子の中から、日本古代史研究の大家、津田左右吉が
出た。津田は、古伝説資料を、当時の作者の意図を考慮しながら
分析するやり方を、白鳥から学ぶ。
大陸思想を嫌悪し、日本独自文化を尊敬する態度をも学ぶ。
白鳥の、邪馬台国九州説は、京都大学内藤湖南らにより批判された。
湖南は、日本文化の独自性を、白鳥よりも大幅に縮小させた。
日本の独自性が成立したのは、応仁の乱以降、それ以前は、
大陸文化の輸入ばかりで無価値だ、とした。
湖南は、Asiaが西洋文化に対抗する可能性を摸索した。
湖南による師匠への批判を気にした?津田は、邪馬台国問題への
深入りを避けたけれど、皇国史観派から批判された。
戦後日本史学会は、戦前の皇国史観を単純に無視し、津田流歴史学
を主流にしたけれど、皇国史観を分析、批判する作業をおろそかにした。
そのことを著者は批判。著者はまた、戦後日本国憲法の国民主権は
不完全だと批判。
日本は戦後も、自然共同体の性質を残し、国民の主体性が未発達。
主体性発達、真の国民主権化への課題が残る。
著者はあとがきで、歴史学は、国家identity確立に奉仕するよりも、
官僚体制に対抗し、官僚支配を打破し、民主主義を確立させ
るためにあるべきだ、の思想を提示。