「イザヤ・ベンダサン」こと山本七平著「日本人と中国人」祥伝社
旧日本軍による南京事件の死者を過剰に膨らませ、
旧日本軍とNazi Germanyとを並列させる中共の企みは悪辣だけど、
日本軍の南京攻め作戦には擁護し難い狂気が含まれた。
著者もこの点を指摘。対中戦闘で、独逸(ドイツ)人
Trautmannの仲介により、国民党との和平成立。
それなのに、日本側が勝手に合意破棄して南京侵攻。
全く不合理。条約よりも感情を優先させた、感情
至上主義の病理のなせるわざ。
戦後南Koreaも似た病理で、戦後処理に関する対日
手打ちを何度も反故にしたけど、日本としても
過去の症状を認識して置くのが良い。
戦前日本軍には、通常の軍に必須の計算が不足、
軍国主義の水準に達せず。
単なるならず者、ごろつき。戦後中共人や、日本
国内左翼らが、日本軍国主義復活を批判するのは、
見当外れ。幽霊か幻覚に対して喚き散らす様なこと。
本多勝一らの左翼言論人は、聖書学に詳しい山本七平流
には悪しき黙示文学。似非歴史。
現在の倫理基準で歴史を裁き、民衆に責任転嫁をする。
偽Messiah(救世主)の常套手。
でも民衆の中には、自分に責任転嫁されたことに
気付かず、だまされる者も居る。
左翼流反国家言説は、間接に民衆を味方すると
錯覚させる。
左翼や中共のやり方は悪意に満ちただましだけど、
それに逆切れする極右もやはり病気。
△ 山本七平は、近世日本思想に関して、新井白石を評価。
日本とChinaはそれぞれ別個の体系を持つとし、公平な
比較をした、と。
でも近世後半には、日本こそ「中国」だ、現実の中国、
大陸は堕落したものだ、とする倒錯が発生、平田篤胤国学や、
頼山陽攘夷論は、倒錯と国粋主義、さらには明治以降の
軍国主義とを接続させた。
山本七平はそれを批判。近代日本軍の大陸侵略は「中国」
理念への信仰を土台にしたもので、悪意は無い、としながらも、
自らの倒錯に無知と見られる点で愚かだとする。
山本は、日本文化を周辺文化、辺境文化としつつ、他
の周辺文化と共通性があるとする。
Israel,Greece等、長く生き延びた周辺文化がある。
その方向に進むことを期待。
でも、多くの周辺文化は消滅、文化を営む人びとが、
自文化を恥と感じて、消した。
日本も明治以降、過去を消した、明治は徳川を消し、
戦後は戦前を消し、過去否定が習性化しつつあるけど、
日本はそれを脱するべきだ。
日本文化を客体化し、他民族に利用可能なもの、手本
として提示するべきだ。
他国が、我が国こそ真の「日本」だ、現実の日本は
堕落したものだ、と主張する日が来ることを、山本
七平は期待した。
山本七平の思考は「日本辺境論」の内田樹さんに通
ずるところもある。
で、某出版社が内田氏に「日本人と中国人」の解説を
依頼したけど、その社は何故か、角川の様に「ベンダサン」
=山本七平を認めることをせず、その点に不満な内田氏側
が撤回したとのこと。
▼山本七平著「勤勉の哲学」PHP文庫、84年十月。
この本以前の「日本資本主義の精神」をさらに掘り下げる
ことを試みた。
西洋では、社会学者のMax Weberが指摘した様に、基督新教
(Protestantism)が、近代資本主義の土台を形成した。
日本にもそれに相当するものがあるのでは、と近世思想家
の鈴木正三や石田梅岩の思想を探究。
この本が書かれた時代には、日本は何故資本主義化に
成功したかが問題にされたけれど、現在やるべき問題
設定は、日本型資本主義は何故敗北したか、である。
解説の小室直樹は、日本には資本主義の大事な要素になる、
契約の思想や労働市場(転職の自由)が無いことを指摘する。
契約の思想が無いのだから、近世日本を封建主義とするのは誤り。
続き。
徳川時代の思想家、鈴木正三は、仏教思想と勤労とを
結びつけることを試みた。勤労は佛道修行だ、と。
また近世日本の身分制に合せて、印度流のの業の思想
を導入することをも試みた。主君と折合が悪くても、家来
は主君を変更せず、状況を業として受入れて、勤労せよ、と。
管見では日本の一所懸命の思想は、農耕民の思想と
するのが順当で、これを業で解くのは疑問。
一所懸命の思想は、近代、現代の日本の会社組織にも
継承されたけれど、それはBubble崩壊後の構造改革
により衰退した。